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講演会「安積遊歩 障害×女+政治について語る」

2019/9/30

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■安積遊歩講演会「障害×女+政治について語る」9月30日 立教大学

 

安積遊歩さんをお招きして講演会を開催しました。
「障害×女+政治について語る」

生まれつき身体の骨が弱く、社会に出ていくには、多くの協力と努力が必要だった遊歩さん。

これまでどんな生活をしてきたのか、子供時代から進路、進学、生活、結婚について、そしてこれからについて、お話しくださいました。

障壁、葛藤、世話をしてもらう立場から感じた差別や権力についてのお話もありました。

 

「自分は何者であるのか?」「強烈な自己主張」「個人的なことほど政治である」など、遊歩さんの口から出てきた言葉に会場は大きく揺さぶられました。

 

・・・

今、駅や公共の場にある「だれでもトイレ」や「エレベータ」、横断歩道を渡る時の案内音、、などは先人の不便な思いをしてきた人たちが「声をあげて」獲得してきた「必須なもの」(便利なものではない)。

 

社会に出るために、必要なことを獲得するために続けてきた「声をあげること」。その結果が今にある。

ご参加者の感想

●「生きづらさ」と言うより、「生存の危うさ」を安積さんは常に抱えているのだと改めて考えさせられました。

●政治と福祉、生活が結びついていると頭では分かっていても、そんなに興味がありませんでした。けど、今日の安積さんのお話を聞いて、少しずつ勉強していこうと思いました。ありがとうございました。

●これまで何度もお話を聞かせていただいたり、著書を読んでいますが、何度聞いても安積さんの話は面白いです。面白いと言うのも失礼かもしれませんが、命がけで生きるとはどう言うことかをいつも考えさせられます。「政治と家庭は公的/私的なものとして分ける」それが社会の前提になっている気がします。だから政治が遠く感じ、立ち上がる気力も無くなってしまう。でもそうではなくて、最後のお言葉にもありましたが、政治のどこが自分に結びついているのか、それを考え、自分も学生として友人や知人に発信していきたいと思いました。

●遊歩さんの歩みを丁寧に聞くことができて、すごくいい時間でした。ありがとうございました。

●元気なお話が聞けたので、元気になりました。この20年間くらいの中で、障がいのある方も関わることもあり、自分の中の差別については、感じていました。それをなくすために、どんなことをしてきたか、していこうか、確認できたように思います。

●障がいと女と政治、繋がっていてとっても面白かったです。

●障がいは個性、問題解決の道を選ばないと言う言葉には印象的でした。今回の講演会は、「参加してみよう」という気持ちで参加しました。参加してみたところで、たくさんのことを学べる機会を得ました。安積さんの教えを自分の生活に結びつけていこうと思う講演会でした。ありがとうございます。

●「自分に対する冒涜」という言葉が強く心に残りました。”自己主張”というネガティブに捉えられかねない日本社会で心の置き方というか、何を主日に自己決定していけば良いのかを教えていただいたように思います。

●とても良い集まりでした。スタッフの皆さん、ご苦労様です。今回は遊歩さんから声をかけていただきましたが、こんな活動があったんですね。

●私は医療系の学生として今学んでいますが、今日の安積さんの講演で印象に残ったことは、冒頭に挙げられていた「医療虐待」のお話でした。患者さんの権利と医療者の安全管理のジレンマとして”抑制具”の問題がよく学内でも話題になります。今後もこの問題は明確な答えが出ないまま続くのかもしれないと思っていましたが「医療虐待」のお話を聞いて、まずは人の自由とは、幸福とは、意志はどうかという点を第一に考えていく必要があると気づかされました。本日はありがとうございました。

●安積さんの本よりずーっとパワフルな”っざけんな”とか”Have a nice cay!”とか言葉の中で、これまでの道のりを伺えてとても幸せでした。手段を選ばない。

●大変参考になった。安積先生の言葉が厳しく優しく、心につきささりました。

●解決の道筋を選ばず、とにかく動く。衝撃でした。

●直接お話を聞くことができ、大変嬉しく思います。遊歩さんが歩いてきた道、今から私達が作っていく道を思い、また勇気を頂きました。断薬・減薬にもふれていただきありがとうございます。

●遊歩さんすごくカッコよかったです。「問題解決の道をえらばない!それが生きるってことよ!」

●遊歩さんに初めてお会いしたのは、私が国立市で市民活動をしているときでした。暮らしやすい街にしていくには多様な人の声を聞く国立市の基本構想の市民案づくりでした。改めて原点に返ることができました。ありがとうございます。

●「対等な関係で助け合う」という言葉に改めてハッ!としました。私は今、社会福祉協議会でバリアフリー等に関する福祉講座の出前講座で小学校へ出向くことがあり、助け合うことの大切さ等を伝える場面があります。そこで、この対等なのだという視点をもっときちんと盛り込み伝えたいと思いました。政治を遠くに置かず、自分ごとにして、生活の具体と結びつけていくことを意識していく!!声にすること。できることをしていく!!知らないことはもう罪だと思いました。どこか見なかったことにしていたこと、勉強します。

●強烈な自己主張!この言葉が印象に残りました。そしてその前には、強烈に自分が何者であるかを知るということ。それは、どんな人にとっても大切なこと。日本にいると、隠れたり遠慮したりということで、自分のチカラを引っ込めてしまうことで、自分を守ろうとすることが多いのではないかと思いました。けれど、それでは何も本当には自分自身を守れない、生かせない、ということをお話を伺いしていて、感じました。これからの自分の人生でもささいなことから見逃していないか、よく気をつけていかないとと思います。

●遊歩さんの反核・半原発の姿勢や、牛肉・豚肉・鶏肉にどれだけの穀物が必要かなど、非常に正確な認識に敬服しました。

●遊穂様、とってもお久しぶりです!「政治は生活そのもの」ほんとにしみじみ思っているけど、隣には少し知り合えた友人に自分から声をかけて行きたいと改めて思います。遊歩が市議を目指したときがあった話は知らなかったけど、なるほどーと思います。私が市議のときに、ユウカウンセリングで乗り切れた力を奮い起こせたと思い起こしています(時々、思い出しています)。今日は、またエネルギーをもらいました。感謝。

●久しぶりに全くぶれない遊歩さんのお話を聞いて、ガツーンと心を打たれた思いです。この力強さはどこから来るのかと思ってしまう。まだまだ偏見と差別に満ち溢れている社会、そしてますますひどくなる差別社会(メディアを通して聞いていると)だけど、今日の集まり、そして遊歩さんの力強い言葉、私も弱音はいているときじゃないです。

●自分のことは自分で決めるという当たり前のことがまだまだ子育て教育の中にないことを改めて感じました。Personal is political.まさにその通りですね。

●女である、障害があるというだけで、あらゆる差別と闘ってこられた遊歩さんのお話は、私自身の内面にある差別に改めて気付かされるとともに、自分が「女」として萎縮して生きているということを自覚しました。私という大学生の立場でさえ、女は弱いですが、主に男性が作ってきた政治の中では尚更女は弱い存在なのだろうなと思いました。自分の生きにくさ、自分の大切な人の生きにくさという身近なところを変えるには、自己主張をし、闘う必要があるということを思い知らされ、今まで以上に活動や発信の和を広げていきたいと思いました。

 

「これからの福祉社会、または、共生社会」についてのご意見をお聞かせください。

回答

●不寛容な社会がどんどん広がっているように思います。共生社会、まだまだ道のりは遠いけど、諦めずに取り組んでいきたいです。

●私は障害福祉だけでなく、宗教のことも興味があります。どんな世界にも差別があり、無くしていくにはお互いのことを知ることが大事なのではないかと思います。それが共生社会につながるのではないかと…。まだまだ勉強です。

●遊歩さんの階段の話もありましたが、誰かを助ける経験をして、「助けないほうがよかった」と思う人なんていないのではないかと思います。東京の人は冷たいと言うけれど、助けを求めればきっと助けてくれる。助けが必要な時に助けを求める人が増え、それが当たり前の社会になるように、自分が自ら「お助けしましょうか」と言う人間になろうと思います。日本の福祉社会は本当に厳しい立場に置かれているけれど、遊歩さんのように闘っている人がいると言うことを忘れずに、自分がどう生きるかを考えたいと思います。今日はありがとうございました。

●講演にもありました平和という視点が大切なのかなと思うようになりましt。

●最近、ダウン症のお子さんを養子に出したいという方のお話を聞く研究をしています。まさに「社会モデル」だと思いました。

●障害者の人の視点と健常者の人の視点は近づくことはできるけど、同じにはならないと思います。お互い意見を尊重し、障害者の人が生きやすい社会になるように整えていく必要があると感じます。そうすれば全ての人が生きやすい社会になると思います。

●安積さんは手を貸してくださる方々に「これで想像力が鍛えられたね!」とお声をかけられるとおっしゃっており、深く賛同しました。私も立教大学で社会学を学んでいた頃にはもう少し想像力があったはずでしたが、日常に忙殺されてその力が弱くなっておりました。最近、子供を産み、助けが必要な人、状況に少しは想いを馳せることができるようになりましたが、それでも接し続けなければ、弱ってしまうものでした。だから、メッセージが発し続けられること、それが届くこと、そのことが非常に重要だと思いました。

●まずは、自分自身の存在をすぐ近くにいる他社・環境について想いを馳せることが必要ではないかと感じました。そうした運動を一人一人が広げていくと少しずつ変われるのではと今日の話を聞いて思いました。

●もっと健常者と障害者の垣根をなくしたい。

●社会モデルという言葉が誰にとっても説明いらずで語れる世の中にしていかねばと思っています。

●米津知子さんのお話をうかがいたいです。

●障害者当事者でシングルマザーです。児童扶養手当と障害基礎年金が併給できず、貧困に陥っている仲間が多いことを知ってほしいです。

●身体、精神ともに、ここ最近、障害を持っている方と会う機会が何度かあり、見た目ではわからない方、明らかに24hの介護が必要な方、色々な方がいました。この方たちが、いつも私が行きたいときにお店に行き、トイレに行き、言葉を交わし、ということをするのとおなじように、暮らしをできる社会であったら‥と思っています。道を歩いていて、普通に手を貸したり、声をかけたりというような。それには私がまず、一人一人がまず、自分が何者であるか&自己主張が大切なのだというところに来ました。

●医療への不信や脱医療化の問題が非常に深いところから来ていることを知り、はっと思いました。

●福祉に関わりながら、過ごしてきています。地域で、繋がれる場所を作りたいと思って準備中です。「共生社会」とは、今更国から言われてもね~と冷たい目で見ています。一緒に過ごす、ともに生きることは当たり前のこと。病気のいとこが、入院してしまったら、またも冷ややかな病院の対応に怒りを持って通う覚悟をしているこの頃です。

●学校教育、保育園、幼稚園での人権教育が共生社会には必要と思います。小学校で金子みすずの「みんなちがってみんないい」を学んでおいて、中学校では没個性、周りに合わせることを押しつけている矛盾。すべて教育に特に学校教育の仕組みをどうにかしなくちゃと思っています。

●社会から障害のある方への偏見や差別を減らし取り除くには、日常の中に多様な人がいる。つまり障害のある人もない人も同一空間で生きることが求められていると思います。養護学校に通っている中高生や就労移行支援事業所に通う方々とか変わっていると、彼らは普段、障害のある仲間と身近な支援者家族以外の人との関わりが希薄であると感じます。彼らがもっと外に出られて、存在を認知され受け入れられる世の中になってほしい。そういう世の中にしたいと思っています。

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